API 東京&その近郊 活動報告 API Fellows Activities in Tokyo Metropolitan Area

Asian Public Intellectuals Fellowship関係者の東京&その近郊での活動報告です

2013年6月3日 土井利幸さん(API11期)のお話を聞く会 「メコン・ウォッチの「監視」活動、ことば、日本」

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2013年6月3日(月)横浜(関内)にて。

 

土井さんのご帰国に合わせて、お話を聞く会を開催いたしました。

3月のワークショップでしていただいたお話に加えて、メコン・ウォッチの活動、ならびに日本での活動についても一緒にお話いただきました。

概要を当日のお話の進行にそって、以下にご紹介いたします。

 

概要--------------------------------------------

ラオスのソムバット氏が誘拐されて今日で169日目。依然として行方が分からず。

話をする機会ごとに、冒頭でこの問題を必ずリマインドしている。

ソムバット氏はアメリカへの留学を経たのち、ラオスで若者の教育NGO活動をし、幸福について問いかけ、マグサイサイ賞を受賞した。APIとも関係が深い。

 

メコン・ウォッチの活動】

活動の背景

1992年:ADB(アジア開発銀行)が大メコン圏経済協力(GMS)を打ち出した。

    ADBへの日本財務省からの出資がADBに影響力を持っている

1993年3月:メコンウォッチ設立

1993年6月2日:国連安保理がカンボジアでの選挙の有効性を宣言

1995年:インドシナ総合開発フォーラム

1997年:ADB福岡総会 

    しかしアジア経済危機でこれまでの潮流が瓦解

メコン・ウォッチは日本の開発資金による環境・社会的影響をウォッチ。ただ資金を流入させるのではなく、それらの複合性をみることができる。

 

三ヶ国をまたぐメコン河支流(3S:セサン・セコン・スレポック)の例

カンボジアでは開発により移住を余儀なくされ、文化と言語を含め、民族ごとの暮らしが難しくなった。

・ベトナムでのヤリ滝ダム建設はカンボジア川には知らされておらず、河川の異変が起きても住民には理由が分からなかった

 

政策提言活動の例:セサン3ダムとADB

・1999年環境影響評価(EIA)報告書案を作成。河川下流への影響に言及し、カンボジア住民への補償を提案→ベトナムがADB融資を辞退

・その後ノルウェー、スウェーデン企業が実施可能性調査を行った。

・ロシア政府が建設資金を提供し、ダムが建設された。

・ADBや世界銀行など、国際機関は国際法の制約をうけない(二国間のケースなら訴訟は可能)。近年では国際機関と住民との調停にADRを活用する動きもある

 

日・中・韓の市民による共同現地訪問

・下流セサン2、セレポック3 中国が現地の地方政府を飛び越して開発に着手

・各国の市民が自国政府による開発をウォッチする目的で訪問

・中国からの市民の開発観においては、富や財の優位性が揺るぎないものであると知った。日本と韓国の市民訪問者は富や財で測れない開発を志向していた。

・訪問中に現地の中国人労働者と話す機会があった。現地住民だけでなく、中国人労働者も言葉が通じず外部との接触が少ないため事情を飲み込めていない。

・日本のJICAODAプロジェクトの実施に適用される環境社会ガイドラインを作成している

・中国で現地に配慮するガイドラインに相当するのは中国商務、環境省による対外投資協力環境保護指針だが実効性は不明

・韓国のODA KOICAはまだガイドラインを作成していない

 

全体のまとめ

物質的豊かさのみを指標にしないために、メコン圏にある豊かさを可視化することが重要だと思う

 

【ことば】

APIでのプロジェクト

・ことばの多様性を「エスノローグ」から推計すると、東南アジアの1461言語のうち、半分以上の779言語が、1万人以下の話者により使用されているものである。

・インド洋のアンダマン諸島の一部族が、現地語で津波から逃れるときの避難知識をもっていたため、被害を免れた→調査課題につながった

・もともと言語学を専攻し、教員をした経験がある。しかし自分としては言語学のみではなく、言語を社会の文脈に位置付けたかった。

・社会的交流のある集団間では文法構造が似てくるような気がする。
例:チョン、クメール、タイは語順が同じ。日本と韓国も。チョン語には独自の文字が必要だと言い文字を作っている人がいるが、どうもタイの文字をそのまま置き換えているようだ。

・タイ人による学校教育がチョン語を恥とし、チョン語話者が子どもたちの将来を案じて自ら使用を禁止したというトラウマがある。現在は地方分権で初等教育のなかでチョン語教育が行われている。学習機会というだけでなく、かつて禁止されていた場でチョン語が承認を得られることは話者の自信につながる

※チョン語教育の事例は、タイ国内の他の少数民族の言語の保持への取り組みにも発展している。マレー民族(南タイ・ムスリム)の例

・今後は言語の記録を残したい。なくなったとしても記録があればリバイバルしやすい。また他の民族への波及効果もあるだろう。

・チョン語の使用については、学校外での使用に広がっていないのが現状

 

※フロアからのコメント

・文字記録だけでなく音声の記録もよいのでは。他の地域では特定の言語が音楽として意味も分からず歌われる例もある

・チョン語の特徴について

森林、樹木の名称などでタイ語ではひとくくりで表現してもチョン語では部位ごとに名称があるなどの違いはないのか。料理の仕方の表現の細やかさなどは?そのあたりからチョン語の特性のようなものがつかめるのではないか。

→まだ未確認だが今後の課題としたい。

 

【日本】

 タイに住んで10年経ち、日本人としての自分について考えることがある。アイデンティティは参加することによって下から作られていくものだと思う。

 言語から世界観を知ってアジアならではの価値観を見いだしたいという希望もある。